スイーツとビジネスの関係 田原総一朗×辻口博啓

日本を代表するジャーナリストの一人であり、大学院教授、雑誌編集長、執筆活動など幅広く活躍中の田原総一朗氏。一見接点がなさそうな二人だが、辻口シェフが修業時代に勤めていたケーキ屋に、当時近所に住んでいた田原氏がよく足を運んでいた事が判明!

文:川野美紀  撮影:関幸貴

世界への出発点

モンサンクレールの春期限定商品「オーブ」(¥475)を召し上がる田原氏。食後の取材にもかかわらずペロリとケーキを平らげた。

田原:和菓子屋の跡取りが洋菓子に目覚めてしまったんだね。なんでも小学校生のときのケーキとの出会いが・・・。

田原:4月に仕事で石川県七尾市を訪ねたとき「辻口博啓美術館(ル ミュゼ ドゥ アッシュ)」へ行きました。非常に繊細なのに圧倒的な存在を感じる作品たち。スイーツを芸術の域に高め美術館まで作ってしまう辻口さんに是非会ってみたいと思っていました。

辻口:最初、加賀屋さんからお話しを頂いたとき、正直、石川県は僕が休みに行くところでお店をやる場所じゃないと。何度かお断りしていたある日、せっかくこの能登にいて、ここから世界で優勝するまでになったのだから、その軌跡を美術館みたいな形で、そういうのがあってもいいんじゃないかと提案があって変わったんです。七尾市って小さいところだけど自分自身発想の原点をもらっているわけで、それに対してできることと言ったら、子供たちに、ここから世界への道がつながっているんだという事を表現したかった。それで美術館をつくらせて頂く事になったんです。

田原:もともと七尾の出身ですか?

辻口:はい。18歳の時に生家の和菓子屋が倒産しまして、子供の頃からの夢であるパティシエの道を諦めきれず就職先を断って東京に。

辻口:そうなんです。小学3年生のとき友達のバースデイパーティーで初めて食べた生クリームのデコレーションケーキに感動して皿までなめてしまって。それまでケーキっていうとバタークリームのものしか食べた事がなかったので、衝撃でした。

田原:ちょっとわからない、素人だから。味でいうとどう違うの?

辻口:バターはわりと重いんです、少し脂っぽいというか。生クリームは水分があって瑞々しい。食べた時の口溶けは生クリームの方がシャープなんですよ。

田原:小学3年でその味の違いが分かって感動するっていうのは相当才能あるね。ちなみに和菓子と洋菓子の差は?

辻口:もともと和菓子っていうのは空気を抜き去るんですね、煮詰めたり練り上げたりして。洋菓子はスポンジなど空気を入れていくんです。同じ甘いものなのに作り方が逆、もちろん食感も違う。

田原:それで、これだなあと思った。

辻口:というか、あまりに感動したんですよ。それと友達のお母さんに「辻口君の家にはこんなに美味しいお菓子ないでしょ」って言われたのが非常に悔しかった。自分の家には何でこんな美味しいお菓子がないのかって思いが強くて。そこで、父親は和菓子が作れるから、いずれ洋菓子を作る職人になって、父親と一緒に「紅屋」で和と洋を売ればいいなと思ったんです。また、職人になったら自由な時間なんてなくなりますから、高校を卒業するまで全く勉強しなかった。

修業とコンクール

田原:小学3年からずっと、洋菓子職人になる目標はぶれなかったんですね。高校を卒業して東京へ行った。なんで東京?

辻口:祖父も父親も東京で修業したんです。僕もそうすればなんとかなるだろうと。

田原:最初はどういうところにお勤めに?

辻口:田園調布のフランス菓子店に住み込みで。でも2ヶ月くらいして実家が倒産して呼び戻されたんです。帰ったら地元の蒲鉾屋で就職する手はずが整っていて。最初は就職するつもりで戻ったんですけど、誰もいない厨房を見ていたら小学3年の時に感じた思いや決意が込み上げてきて、3年で一人前になるからと母親を説得して再び東京へ行きました。

田原:まさにイバラの道だね。2度目の職場も住み込みで?

辻口:同じ住み込みでも意気込みは違いました。早く一人前になって店を持たなきゃならない。そのためにはコンクールで優勝して注目を集め、スポンサーを見つける必要がある。

田原:そうか、お菓子屋さんをやろうとするとお金がかかるんだ。でもどこで勉強したんですか。朝6時から夜11時まで働いてたんでしょ。

辻口:その後です。仕事が終わってから3〜4時間くらい、盗み見た先輩の技を覚える為に一人残って練習したり、コンクールの研究をしたり、毎日その繰り返しでした。

田原:ほとんど寝られないじゃない。それで最初のコンクールはどうだったんですか。

辻口:ダメでしたね。その後はなんでダメなのかを、休日に、コンクールで強いお店、美味しいお店に見に行って研究しました。

田原:で、どこが違うかわかったの?

辻口:当時は味覚を審査するというより造形を重視だったんですよ。自然な動き、ライン、質感など、精巧さと発想が重視されていました。

田原:そういえば美術館の作品はすごかった。なんでこんなに丁寧というか、細やかでホント精巧。

辻口:そういうものを突き詰めていくコンクールが主流だったんですね。その後何度か入賞して、23歳のとき、「全国洋菓子技術コンクール」で優勝しました。

田原:優勝作品はどんなものだったんですか。

辻口:それも造形的なものでした。手紙なんです、そこに天使が弓矢を放つような。弓はゼラチンを釣り糸のように細く伸ばして表現しました。

田原総一朗プロフィール

ジャーナリスト 田原総一朗
1934年滋賀県生まれ。60年岩波映画製作所入社。64年に東京12チャンネル(現テレビ東京)に開局とともに入社、77年フリーに。テレビ朝日系「朝まで生テレビ!」「サンデープロジェクト」でテレビジャーナリズムの新しい地平を拓く。98年、ジャーナリストとして城戸又一賞を受賞。現在早稲田大学特命教授として大学院で講義をするほか、同大学講座「大隈塾」塾頭も務める。著書出版物など多数。