人はお菓子に夢を見る 吉田菊次郎×辻口博啓

日本に本格的フランス菓子を普及させた、草分け的名店「ブールミッシュ」。オーナー・パティシエの吉田菊次郎さんが今回のゲストです。「お菓子は究極のアート」と語る吉田さんは、日本ならびに世界の菓子文化に精通しており、あたたかな文体でお菓子の楽しさを伝える著作がこのたび100冊目を迎えました。氏の歩みと、スイーツ文化のさらなる発展に向けた考えを辻口シェフが伺います。

文 橋本紀子 写真 富田梨香

フランス菓子のおいしさを日本に

吉田: このあいだテレビを見ていたら、辻口くんが長野県の小布施に行って、地元食材を使って調理していた。「いいことやってるね。見てるよ」って僕はすぐメールしたんです。

辻口: 杉浦太陽くんと料理人が二人旅をする「キッチンが走る!」ですね。2回出演させていただきましたが、食材のつくり手の思いに触れることができる面白い番組なんです。

吉田: いろいろなメディアに登場し、認知を広める活動をしていて、辻口くんは素晴らしいですね。お菓子の楽しさを伝えるには、メディアへの露出を高めていくことが大切なんです。パティシエでメディアに出て発信する人は多くないけれど、僕たちはなんでも興味津々。僕も料理番組を長くやってきたし、テレビドラマなどに撮影協力や製菓指導でバックアップしている。お菓子は逸話が多くクイズになりやすいということで、最近ではクイズ番組の監修も。

辻口: 毎月22日はショートケーキの日、というのも吉田さんが考えられたんですよね。

吉田: いつもカレンダーの上にイチゴ(22日の1週間前の15日)が載っているからって(笑)。クイズ番組のディレクターに聞かれて、「面白いから通しちゃおう!」と。こういう遊びがあったほうが楽しくていい。

辻口: かつてはケーキといえばショートケーキやモンブランくらいしか置いてないお店がたくさんありました。そんな時代にパリの伝統的なお菓子を本場で勉強して、シブーストなどを日本に伝え、フランス菓子がこんなにおいしいんだって教えてくれたのが吉田さんでした。

吉田: 僕や河田勝彦くん、少し遅れて大山栄蔵くんとかが意を決して飛んで行った第一世代。パリから帰国した’70年代初頭は日本が高度成長期で、フランス菓子がちょうど時代とフィットした。「アンアン」や「ノンノ」とかが創刊され、おいしいケーキ屋さんの情報が載るようになって。当時、日本のお菓子は、まだまだ遅れていたから、いち早く向こうのケーキをそのままリアルタイムに表現することが求められていたんです。

辻口: もともとパティシエになろうと考えたのはいつ頃だったのでしょうか。

吉田: 僕は辻口くんと似たような境遇なんです。うちは父も母もお菓子屋だったけれど、18歳のとき家業が倒産してしまった。

辻口: 18歳のときですか。私と同じですね。

吉田: もう一度吉田家のお菓子をつくりたい、と思っていたら、父がどこから工面したのか、パリ行きの飛行機のチケットを用意してくれました。片道切符の特攻隊みたいなもの。パリに着いて、働ける場所を求めてあちこち門を叩いた。明日から来いと言われたときは、これで生き延びれると思いましたよ。

辻口: よくわかります。これでなんとか食べられるという気持ち。

吉田: 人生これから始まるというときにどん底ですから。でも、神様は公平だと思うのは、あのまま平穏無事に行ってたらただのぼんぼんだった。僕らの苦労なんてたいしたことはないけれど、人並みの苦労をさせてもらえたことを神様に感謝したいです。

辻口: だからこそがむしゃらにやれた。苦労をさせられたというより、そういう境遇を与えてもらったと思いますね。